続研究の話 RESEARCH

続研究の話(大量の放射能を浴びた息子のその後)

2013年の春、私は息子が通っている塾の教師と膝を突き合わせて面談をしておりました。「息子さん、南山中学を受験する、って言うんですよ。」先生は上目遣いで私を見ています。
「わかりました。」と答えると「いいんですか?本当にいいんですか!?」とびっくりされました。後で聞いたことですが、塾に通っている男の子たちの、ほとんどの親は東海中学志望で、南山中学をすすめると難色を示すそうです。特に私のように、東海高校卒、名古屋大学医学部卒という親はタチが悪く「俺の子供に南山に行け、というのか。」とか「こんなことになったのは塾の指導が悪い。」とか言って暴れるのだそうです。しかし、私の場合、そんな文句をいって教師を困らせる気にはなりませんでした。
息子よ、許せ。お前の出来が悪いのは、お前の努力不足のせいでも、塾の指導が悪いせいでもない。父が昔、お前に大量のβ(ベータ)線を浴びせたためなのだ。

名古屋にある私立東海中学校・高等学校

東海大学の付属高校か?とよく聞かれるが、東海大学とはなんの関係もない。医学部進学者が多いことで有名な学校で、ここの生徒が会話をするとき、名古屋大学といえば、名大医学部のこと、京都大学といえば、京大の医学部を指していて、他の学部のことを話しているのではない。特に理系A群と呼ばれる進学クラスに行くと、工学部や理学部に行きたい、という生徒は極めて稀な精神疾患のような扱いを受けることになる。ただ、教師たちが医学部進学に熱心かと言うと、むしろ逆で、この学校の進路指導は、いかにして医学部を諦めさせるか、ということにフォーカスしている。しかし、生徒たちは頑として譲らない。最近、東海高校の教師のインタビューを見かけたが「医学部進学を勧める、ということは特にしていない。我が校の生徒についても、特に優秀と感じたことはない。ただ、分不相応な夢を描いている生徒が多い。」ということで、僕が卒業した40年後も、校風は変わっていないようだ。

転職

大学で研究していたとき、しばしば私は、大量の放射能を扱う実験をしていました。
どのぐらいの量か、というと、私が実験をする日には、「愛知医大に許可された放射線の極限量を1日で使い切る実験が行われるため、本日は放射線を扱う実験はできません。」という通達が出て、他の医師の実験に支障をきたすほどでした。こんな実験を日常的に繰り返していたので、子ダネも焼ききれて、もう子供もできないだろう、と考えていましたが、そんな中、あっさりと長男ができてしまいました。その後息子を観察していましたが、幸い、特に目立った障害もなく、元気に大きくなっていきました。ただ、成績はどうも芳しくなく、どう考えても国立の医学部に合格できそうな様子はありませんでした。すると将来、息子が医者になりたいと言い出したときには、私立医大に進学させなければなりません。しかし、私が大学から頂いていた給料では、とうてい私立の医学部に進学させられそうにはありませんでした。もう少し稼げる商売はないものか、と知恵を絞り、在宅医療を始めることにしました。

ブルーオーシャン

大学の研究者が終末期医療に転職するのは突飛なことのように思われるかもしれませんが、私としては日頃の心がけを実践したに過ぎません。
心がけとは
1)自分のやりたいことより、世間の需要を優先すること
2)できるだけ競争相手の少ないブルーオーシャンで競争すること、
の2点です。科学の世界には流れがあり、そこで生活している人たちは常に知的好奇心が満たされることを生きがいにしています。良い科学雑誌に自分の研究論文を載せるためには、あえて自分の興味は押し殺して、大衆がどんなストーリーを聞きたがっているのか、それをイメージして論文を書くことが必要です。最近、日本の研究者の研究論文が、メジャーな雑誌に掲載されなくなってきた、と嘆く研究者が多いのですが、日本の研究者はえてして、大衆の興味より自分の興味を優先する傾向があるので、そんな事になりがちです。また、日本の研究者は、昔から存在する、確率されたテーマを扱う傾向があります。たくさんの研究者が取り組んでいる話題のほうが、注目が集まりやすいような気がするのですが、これは裏を返すと、たくさんの競争相手がいる、ということで、そのようなレッドオーシャンにかかわる研究をしていると、多少優秀な研究者も日の目を見ないことが多いのです。
私が在宅医療を始めた2006年当時、在宅医療や終末期医療をやりたい、という医者はほとんどいませんでした。そのいっぽうで高齢化社会はどんどん進行して、終末期医療の需要はうなぎのぼりでしたから、需要と供給の2つの点を考慮した場合、在宅医療が最も稼ぎやすい商売、という結論に行き着きます。

僕の転職は、スターウォーズ風に言うと、ジェダイの騎士がダース・ベイダーに転職したようなものだった。
正義のために戦っていたジェダイの騎士が「こんな安月給で体張ってられるか!」とある日、ダース・ベイダーに転職して帝国から厚遇されたという、あれは、確かそんなお話だった。ちなみに僕はダース・ベイダーが大好きだ。皇帝を暗殺して、自分が帝国の支配者に成り代わり、息子に跡を継がせたい、と一生懸命頑張っている姿は、涙なしには見られない。息子のルークといえば、革命軍に身を投じたり、デス・スターを破壊したり、親父の足を引っ張ってばかりいるのに。

南山中学

話を息子の中学受験に戻します。親としては、当然、転職までして進学させるのだから、できるだけ医者になってもらいたいし、私どもの住んでいる地域の中で、その可能性が一番高い学校は東海中学校でしたから、東海を受験してはどうか、と水をむけたのですが、息子は意に介さず「父さん。俺の模試の成績を見た?合格可能性20%だよ。これで受験する人間なんているの?」と説教され、諦めざるを得ませんでした。
ちなみに私自身は一発勝負にめっぽう強い体質で、これまで受験してきた学校は、だいたい合格可能性20%で合格してきたので、20%あれば十分、と考えているのですが、子供に無理強いはできません。東海地方にお住まいではない方のために、南山中学校について簡単に説明します。
名古屋に南山大学というカトリック系の大学があり、南山中学校は、その大学の付属高校にあたります。南山大学は、首都圏でいうところのMarch的な扱いで、この大学への推薦枠が大量にもらえることから、付属の中学校は進学先として人気です。共学の学校ですが、校舎は男子部と女子部に別れており、普段の授業も、学校の行事も別々に開催されています。男子部、女子部ともに六年一貫教育の中学校・高校ですが、女子部の進学成績が恐ろしくすばらしく、東海地方では名実ともに女子教育の頂点に立つ学校といえます。それに対して男子部は、今ひとつ冴えません。理由は簡単で、東海中学と入試日が一緒なのです。男子生徒は東海中学と南山中学の併願ができないため、選択を迫られると、成績の良い生徒ほど東海へ、諦めの良い生徒ほど南山へ来ます。その結果、たとえば、名大の医学部では、東海高校卒が毎年1学年30数名、南山高校女子部卒が10数名、南山高校男子部卒が1名、というぐらい進学成績に差がついてしまいます。

南山中学校・高等学校女子部
僕がこの学校の生徒を初めて見かけたのは、高校時代に鶴舞図書館で勉強をしていたときのことだった。同じ机の向かい側に、ジャンパースカート風の制服を着た女子生徒が二人座ったのだ。友達同士で来たのだろう、勉強しながら、時々顔を見合わせてクスクス笑っている。二人ともちょっと可愛かったし、そんな度胸もなかったが、あわよくば話しかけてみようかと、少し見栄を張って、僕も一生懸命勉強するふりをした。しかし、二人とも勉強に夢中で全く顔をあげない。イルカの息継ぎのように、1時間に一回ほど顔を上げてお互いの顔をみてクスクス笑っているだけだ。結局6時間ほど勉強を続けて、ボロ雑巾のようにくたびれ果てた僕は、二人を残して帰宅した。

入試

さて、南山中学に志望校を定めたのは良いのですが、肝腎の模擬試験の成績が奮いません。小学校6年生の夏休みの段階で、合格可能性60%程度。これがどれだけ危機感のある数字か、中学入試が常態化している首都圏住まいのお父さん、お母さんならわかると思います。志望校のランクを落として、それでもなお合格できないのであれば、もはや私立中学に通わせる必要すらないかもしれません。しかし成績はパッとしないまま、秋になり、受験の日が近づいてきました。そんなある日、息子が模試の成績を持ってこないことに気づきました。本人に聞いても、「試験の結果はまだ返ってきていない。」と言うのです。ふと彼の足元のゴミ箱に目をやると、見慣れた紙片が埋もれています。そのクシャクシャの紙を引っ張り出して見てみると、なんと、南山中学合格可能性20%と書かれた模試の成績表でした。うすうす感づいてはいましたが、どうも、追い込みが効かない性格らしく、受験の日が近づくに連れ、周りの受験生に追い抜かされているのです。
とりあえず喝を入れ、その後の模試の成績は若干盛り返しましたが、結局ほとんどそのまま、中学入試に突入してしまいました。最後には合格したところをみると、彼も私の一発逆転の体質を受け継いでいるのかもしれません。

南山中学校・高等学校男子部
全国に進学成績が発表されるときには、南山高校と標記されるが、事実上女子部とは別の学校といっていい。
日頃全く交流がないが、たまに女子部の生徒がふらりと一人で男子部を訪れることがある。冷水機が男子部にしかないため、冷たい水を飲みに来るのだ。女子一人で男子しかいない学校に乗り込んでくる胆力もすごいが、男子は男子で、担任の教師から、女子部の生徒には声をかけないように指導を受けているので、あっけにとられて見守るしかない。壁に張り付くようにして避ける男子を見下ろしながら、クジラのように水を飲んで帰っていくそうだ。

入学後

保育園に通っていた頃から気づいていましたが、息子は世渡りが上手です。
用務員さんによると、特に人間関係のトラブルから身をかわすのがうまいようで、小学校でも授業参観に行くと、いつも一番うしろの席に座っていました。教師から見ると、一番目を離しておける存在なのでしょう。
中学校に入学してからも、先生の評価は概ね良く、同級生とのトラブルなど聞いたことはなかったのですが、彼の成績表を見ていると気づくことがありました。英語や数学、理科や国語と言った主要科目以外の成績が妙に良いのです。たとえば南山高校はカトリックの学校なので、教科に「神学」という教科がありますが、これが評価10。他にも家庭科とか、音楽なども成績がよいのですが、おかしいと感じたのが体育です。運動会に行くと、かけっこはドベなのに評価はいつも7とか8なのです。
「南山大学の神学部からスカウトされるぞ。」と言ってからかっていましたが、大学入試に必要なのは英語や数学なので、これではまずい、と感じました。中学入試の様子から、追い込みが効かない体質だということはわかっていましたので、それでは日頃の授業を大切にしてもらおうと、学校の授業をサポートしてくれる塾に通わせることにしました。このような塾は進学塾とは異なり、南山中学校・高校に特化しています。定期試験の過去問が保管してあり、担任の先生がどのような出題をしてくるのか、対策をたてることができました。
それで高校1年生までは上手くやってこられましたが、高校2年生となると、そろそろ進路を考えないといけません。将来何がしたいのだ、と聞いても、特にやりたい仕事があるわけでもなさそうでした。日本全国の高校生も、だいたいそんなもんでしょう。私自身も高校時代に医者になろうと決意していたわけではありません。ただ、周りの生徒がみんな医学部に行くって言うから流されただけです。あと、白い巨塔の財前五郎(田宮二郎)がメチャかっこよかったから。でも、特にやりたい仕事も決めていないのなら、親の職業を継ぐのがふつうです。そう息子を丸め込んで、とりあえず学校指定の模擬試験を受けさせることにしました。

E判定

試験の結果は悲惨でした。国立の医学部と私立の医学部を志望校にしましたが、どれもこれもE判定です。私が医学部を受験した頃には偏差値が30ぐらいだった私立の医学部も、今では軒並み偏差値60以上になっているからです。まだ高2の春だから、現役生は伸びるから、と言われても、中学受験の様子をみると、これからどんどん成績が良くなるようには思えませんでした。それにE判定というのは底が見えません。D判定ならば、合格からは程遠い成績としても、偏差値が5足りないとか10不足しているとか、ダメさ加減が見えてきます。しかしE判定は、果たして合格までにどのぐらいの距離が離れているのか、距離感がつかめないのです。どうしたものか途方にくれていると、医師会の先生に「メディカルラボ」という医学部専門の予備校が良い、と教わりました。その先生の息子さんは、自己評価が低く、自分の成績では医者になれないと思いこんでいたそうです。でも、メディカルラボに連れて行ったところ、塾の先生がとてもおだて上手で、やたらと褒めてくれるので、すっかり調子に乗ってしまい成績がどんどん良くなって、とうとう私立の医学部に合格したそうです。「経営者と飲んだことがあるけど、めちゃくちゃ変な奴だったぞ。」と脅かす先生もいましたが、私はむしろ、それが気に入りました。優れた起業家というものは、心が歪んでいるものです。生まれや生い立ちが不幸で、なんとなく常に飢えていて、乾いていて、世間の常識からずれている、そういうものなのです。世間の常識から乖離している、その差の分だけクリエイティビティ(創造性)が生まれ、飢えている分だけアグレッシブ(攻撃的)になることができるのです。話をお聞きして、とても気に入ったので、早速息子をメディカルラボに連れて行くことに決めました。

メディカルラボ

その予備校は大名古屋ビルヂングの15階にありました。面談室に通されると、JRセントラルビルのツインタワーが正面にそびえ立ち、テラスで食事をしている人の一人ひとりがまるでドールハウスの人形のようによく見えます。中小企業ではありますが私も経営者なので、こういうときには、すぐに算盤を弾いてしまいます。このフロアを借り切るのにいくらかかるのか想像もつきませんでしたが、どこに教室を構えるのか、ということは教育の質とは直接の関係がないため、メディカルラボのブランドとアクセスのためにだけ、膨大な支出をしていることが分かります。医学部受験には、そんなお金を払っても余りあるほど、十分な需要と客単価がある、と見込んでいる経営者の大胆さとしたたかさを感じました。オリエンテーションには、私たち家族の他にもうひと組、お母さんと息子さんが来ていましたが、やがて子どもたちだけがどこかに連れ去られ、親には授業料やシステムの説明が行われました。授業料は現役生が年間400万円、浪人生が800万円、夏期講習や冬期講習は別に費用がかかります。授業は現役教師によるマンツーマンで、一人の生徒が指導を受ける教師は一人だけに固定されています。複数の教師から異なった指導を受けて生徒が混乱しないようにするためです。授業料だけを見ると、一般の方は高いと思うかもしれません。しかし、私のような事業を営む人間からすると、教育費は最も効率の良い投資です。まず、贈与税も相続税もかかりません。医業には難しい入試、国家試験、大学の高い授業料といった参入障壁があり、いったん医師免許を取得すると、働き口には困りません。現代社会はモノであふれかえっており、どんな人にも欲しいものはだいたい、手にはいります。そのような社会において、産業(インダストリー)はもはやあまりニーズがなく、健康で長生きがしたい、というヘルスケアへの需要は今後ますます増えていくと思います。電気自動車と100歳まで若々しく元気でいられる体と、あなたならどちらが欲しいですか?医師免許はそのような社会において、やはりプラチナライセンスと言わざるを得ません。また教育は、中小企業にとっては倒産対策にもなります。将来、何か突然のトラブルで病院が倒産し、私が自己破産したとしても、私と息子が医師免許を持っている限り、再起は簡単です。その意味で、年間1000万円の授業料は高くもなんともないのです。

名古屋駅前にある、大名古屋ビルヂング。
僕が代々木ゼミナールに通っていたころ、名古屋駅はそれほど人通りもなく、所々にホームレスが寝ていて、建物といえば、大名古屋ビルヂングという、屋上がビアホールになっている古びたビルが建っている、それだけの場所だった。あれから40年経ったんだなぁ。

推薦入試

やがて子どもたちが帰ってきました。どうやら、基礎学力を調べるために試験を受けていたようです。息子の場合は高校2年生ですから、中学生から高校1年生までの幅広い内容が出題されました。採点はその場で終了し、彼の現在の立ち位置が示されました。それによると、息子は中学のときに勉強したことを忘れているようです。都度ごとの定期試験はちゃんと勉強していたと思うのですが、過去に勉強した内容は過去に置いてきてしまって、現在の成績に少しも生かされていません。これでは学校の勉強をいくらやっても、受験には対応できず、中学の内容から復習する個別指導が必要であることを痛感しました。こんな親は珍しくないのでしょう。塾の先生は、過去に南山男子部から愛知医大に推薦入試で合格した受験生の成績を見せてくれて、「息子さんより悪い成績でも合格しています。」と、今ならまだ間に合う的な励ましをしてくれました。早速入塾申込みをしましたが、そのときに強く印象に残ったのが推薦入試の制度です。推薦入試は一般推薦と指定校推薦に分かれ、どちらも医学部の入試では無条件で合格というわけにはいかず、一般入試に比べて倍率が低い程度の競争試験です。ただ、推薦入試は受験できる年齢層が限られており、競争相手が現役生だけ、という大学が珍しくありません。医学部入試に的を絞って1年間勉強を続けた浪人生と競わなくて良いというのは現役受験生にとって大きなメリットで、合格ラインが偏差値65の大学でも、一般推薦だと偏差値58、指定校推薦だと偏差値55まで最低合格ラインが下がってきます。この制度を活用しない手はありません。

内申点

メディカルラボに通い始めたところ、さすがに噂に聞いた褒め上手、息子の成績もかなり良くなりました。そして、ついに模擬試験で私立医大のD判定を取るまでになります。ところが、そこからは、なかなか成績が伸びませんでした。成績が伸びない理由は明らかで、勉強時間が足りないのです。私が大学受験のときには、学校から帰ってきて8時間、学校のない日は少なくとも12時間は勉強していたと思います。今から考えると、そんなに長時間ダラダラ勉強していて、効率が上がるのか、と突っ込みたくもなるのですが、とにかく机の前には長く座っていたと思います。今も昔も医学部受験は甘くはないのです。学校で勉強をして、塾に行って、宿題を片づけて、そこまでは医学部受験生なら当たり前の話で、さらにその上に何を積み上げるかで自分の未来が決まります。息子も頑張って勉強していたとは思うのですが、3年生の春ともなると今まで勉強していなかった同級生も勉強を始めますし、浪人生も合流してくるので、成績の伸び悩む日が続きました。そのような中、医学部の指定校推薦の話が舞い込んできたのです。指定校推薦の枠をくれたのは、聖マリアンナ医科大学でした。名前だけ見ると女子の大学みたいですが、共学校です。南山高校とは同じカトリック系の学校で、その繋がりで舞い込んできた話ということでしたが、女子部の進学成績がなかったら、いただけなかった枠だったと思います。指定校推薦は、合格したら、その大学に必ず入学しなければなりません。推薦枠は女子部にも回りましたが、女子部の方では希望者がいない、ということで、男子部に枠が回ってきました。推薦を受けるには条件があります。内申点は4.0以上、推薦枠1校2名まで、受験資格は現役生のみ。試験は英語100点、面接200点、小論文100点。ということは、ほとんど学力は不要で、愛想の良い生徒が合格する、まさに我が子にうってつけの入試ということです。あとは内申点ですが、幸い神学とか家庭科とかの高点数のおかげで4.4もあります。渡りに船とばかり、早速申し込むことに決めました。ちなみに南山高校は南山大学の指定校枠もあり、かなりの生徒が推薦で大学へ進学します。そのような学校のなかでは内申点は厳密に管理されており、0.1点の違いで推薦をもらえたり、もらえなかったりします。そのためか、聖マリアンナ医科大学の推薦入試枠にはかなりの生徒の応募があったそうですが、内定会議で推薦をいただけたのは息子だけだったようです。

神奈川県川崎市にある聖マリアンナ医科大学(聖マリ)
6年間の学費は3千数百万円、初年度納入金は700万円。私立医大のなかでは平均より少しだけ高め。合格通知があってから決められた期日内に入学金を振り込まないと合格が取り消されてしまうため、私に代わって妻がUFJ銀行へ振り込みに行った。ところが「聖」も怪しい、「マリアンナ」も怪しい、「聖マリアンナ」でますます怪しい、ということで、振り込め詐欺と間違われてしまった。別室に連れ込まれ、「奥さん、そんな大学、無いんですよ。」「いえ、ありますから、お願いですから振り込ませてください。」という押し問答を繰り広げた挙げ句、「振り込め詐欺だとしても、けっして銀行をお恨み申し上げません。」という誓約書を数枚書いて、振り込みは完了した。

聖マリアンナ医科大学

推薦試験のスケジュールは一般入試よりかなり早く、11月に英語のみの一次試験、12月に二次試験、年内に合格発表という具合です。神奈川県にある学校なので、一次試験は溝の口という駅に宿をとり、朝からバスに乗って試験会場へ向かいます。バスの車内を見渡すと、同じ年頃の、なぜか男子生徒ばかりが乗っていました。へぇ、男子もけっこう居るじゃん、と息子ともども少しリラックスしましたが、その時同乗した生徒さんのほとんどが二次試験会場にはいませんでした。南山高校は、カトリックの学校で、英語教育にやたらと力を入れていましたので、このときには本当に助かりました。さて、二次試験です。二次試験は面接と小論文ですが、特に面接は侮るなかれ、配点の5割を占める、最重要科目になります。東京医大の事件に関連して調査があり、聖マリでどんな二次試験がおこなわれているのか調査結果が公表されました。それによると、面接で不適格者と判断された場合、0点ではなく、-70点とか、-100点などのマイナス点がつくのです。400点満点の試験でマイナス70点などがついたら、絶対に立ち直れません。メディカルラボはその点も抜け目なく、以前聖マリを受験した卒業生から集めた情報をもとにして、面接会場が再構成してあり、そこで面接のトレーニングを受けることができます。その情報によると、面接は5人一組の討論形式でおこなわれるということでした。二次試験の合格率は40%ですから、まさに以前テレビで観た、「カイジ」という映画にでてくる「鉄骨渡り」というゲームにそっくりです。

出典:カイジ コミックスより
鉄骨渡りは5人一組で鉄骨をわたり、最初に渡りきった2人だけが賞金を手にすることができるシンプルなゲームだ。他の3人を突き落としたり、心理的に圧迫して落ちるようにしむけたり、意外に奥が深い。

そんな面接試験のトレーニングを積んで、塾の先生のアドバイスもしっかりと頭に叩き込み、面接会場へ向かいます。ところが、いざ行ってみたら、その年から形式が変わったらしく、面接官が3人、受験生が一人というごくオーソドックスな面接試験になっていました。とびらを開けると真ん中に怖そうなおじさん、両側に人の好さそうなおばさんが二人座っています。真ん中のおじさんは「当校を志望した動機は?」「座右の銘は?」とオーソドックスな質問を繰り出してきますが、息子に言わせると、このおじさんは囮(ダミー)なのだそうです。実は両側のおばさんが、受験生を殺すヒットマンで、真ん中のおじさんの質問に気を取られていると、両側のおばさんから串刺しにされる、そういう仕掛けなのだそうです。真ん中のおじさんの質問の合間に、隣のおばさんが質問をしてきます。「趣味は読書とありますが、最近読んだ本はなんですか?」面接前の個票に趣味は読書と書いたので、当然答えは準備してあります。「〇〇です。」「まぁ。あれ面白いですよね。私も読みました。でも、あそこの場面で、主人公は何を考えたんでしょうね。」ここが面接の山場です。知ったかぶりをしてもいけませんし、読んでません、とは口が裂けても言えません。「(来た、、、ぬるりと殺しに来やがった)自分は人生経験が足りないので、間違っているかもしれませんが、こんなことを感じたんじゃないでしょうか。」と当たり障りの無いことを言って切り抜けます。なんとか二次試験も無事終了し、年末に大学のホームページ上で合格者の発表があり、そこに息子の名前を見つけることができました。

コロナ

入学金を無事振り込み、4月に入学式があるということで、早速息子のスーツを仕立てました。私が大学に入学したときは、(いい齢して恥ずかしいので)絶対に来るな、と親にしつこく言い置いて入学式に出席したものですが、時代は変わり、最近は子供の大学の入学式に親が出席するのは当たり前になっているようです。ところが、その年はコロナウィルスが大流行し、非常事態宣言のなか、入学式は中止となってしまいました。授業もいきなりオンラインでおこなわれることになり、これには嫌な感じがしました。実は医学部という場所は、少人数であるがゆえに上下、左右の人間関係が濃く、先輩直伝の進級テクニックが伝わっているものなのです。メディカルラボのデータでは聖マリアンナ医科大学の6年生存率(6年間一度も留年せずに卒業する確率)はおよそ70%ですが、先輩、同級生からの試験情報などがなくなってしまうと、その確率はかなり下がります。そんな不安を抱いていた秋のある日、大学から父兄あてに手紙が届きました。ちょっとびっくりしたのですが、私立医大というのは親に子供の成績(席次)を連絡してくるのです。私の子供の場合は106位とありました。106、って一学年何人だっけ、と入学試験の募集要項を確認しましたが、募集人員は110人とあります。また、「下位20人の学生は父兄を呼び出して面談を行います。」と書いてあり、ご丁寧に「ご希望面談日時をご記入ください。」という用紙まで同封されているので、間違いなく、留年候補者と断言して良いでしょう。同級生の大半は一般入試で、激しい受験競争をくぐり抜けてきた猛者ぞろいです。指定校推薦で合格した甘ちゃんは並大抵の覚悟では伍していくことができないはずです。急いで下宿に電話をかけて息子の尻を蹴飛ばしましたが、元々追い込みの効かない性格なので、心配は募るばかりでした。結局、翌年の3月、「ドベから2番で、なんとか進級できた。」という息子からの報告を受けました。ヤレヤレ、なんとか進級できたか、と腰を抜かして座り込んでいたら、大学から成績表がとどきました。1学年129名中席次115位、今年度の進級者は115名と書いてありました。
息子よ、ドベから1番とドベから2番の、その1番にどんなプライドを込めたのだ。