「研究の話」は私が渡米したときの体験記ですが、それからすでに25年が経っています。その研究をスタート地点として、BMK1に興味を持つ研究者がどんどん増え、今日では生体内におけるBMK1の役割や活性化のメカニズムがどんどん明らかになってきています。
より引用
私たちがBMK1と呼んでいたMAPキナーゼですが、最近はもう一つの通り名であるERK5の呼称で呼ぶのが一般的なようです。
研究の話では下の図のように、私たちが建てた仮説を図示しましたが、分子生物学や生化学に関わりのない方から見ると私が何を言っているのかよく分からないと思います。この点について、わかりやすい動画がありましたので、追加します(英語でごめんなさい)。
我々が提唱した細胞内における BMK1 の役割。 細胞に栄養を与えると MEK5が活性化され、それによってBMK1が活性化する。 活性化したBMK1は細胞質から細胞核に移行し細胞核にある MEF などの転写因子を活性化して細胞の遺伝子を活性化する。
我々が提案したERK5(BMK1)が細胞内で働く様子を示した動画。
このように、MEK5によって活性化されたERK5(BMK1)は細胞内へ移行し、細胞の遺伝子を活性化して細胞分裂などを促します。細胞内でのERK5の働きを検証するため、私は細胞周期の実験をおこない、子宮がん細胞が細胞分裂して増殖するためにはERK5が必要だと言うことを証明しました。
その時ハンにみせたデータ。
子宮がん細胞の細胞周期を現したデータで癌細胞中に大量の不活性型BMKI(BMK1(AEF))を産生させると癌細胞の分裂が停止する。何も説明しなかったがハンはひと目みて何を語るデータか見抜いた。
これは結構インパクトのあるデータで、見せられたハンもひどく驚いていましたが、結局私の論文はネイチャーに採用されることになりました。その時代(今もですが)、癌の治療は癌細胞を死滅させることにフォーカスが置かれていて、癌細胞の増殖を停止、もしくは増殖のスピードを遅らせる、というアイデアがなかったからです。私としては気軽に発表した論文ですが、このようなインパクトのあるデータは後々、たくさんの研究者から検証されることになります。
こちらの動画は、ハンに見せたデータの再構成実験です(こちらの研究では肝細胞がんを使用しています)。ERK5(BMK1)を不活性化した癌細胞は静止期(G0/1期)の細胞が増え、細胞分裂のスピードが極端に遅くなります。動画の研究では、なぜこのような現象がおこるのか、そのメカニズムを検証しているだけでなく、実際にERK5を不活性化した癌細胞をネズミに移植すると癌細胞が育たないことを示しています。更にERK5に効果のある抗癌剤をネズミに投与すると、癌細胞の増殖が抑制されることが示されています。
このように私が端っこだけ囓って放り投げたような研究を、世界中の優秀な研究者の皆さんが一つ一つのデータを検証し、実証してくれているのを見ると、なんというか半分嬉しく、半分申し訳ない変な気分です。
最後に、研究の話で最後ハンが急に怒りだした理由が分からない、という方に少し解説を加えます。怒りだした一つの理由は、それまで庇護の対象であった下っ端研究者の私が急に競争相手として認識されたからだと思います。彼の研究はp38にフォーカスしていましたが、細胞周期に関して検証することを忘れていたのでしょう。一つのテーマをすっぱ抜かれた、という印象を持ったのだと思います。そしてもう一つの理由は、剣幕にたじろいだ私が論文の投稿を迷っている間に、p38とがん細胞の細胞周期を調べて、私より先に論文を発表しようとしたのだと思います。なぜそれが分かるかって?この件があった2週間後にハンの机の横にあるゴミ箱に細胞周期の実験結果が山のように捨ててあったからです。
水くさいなぁ。ひとこと言ってくれれば、「もう何度も実験したけど、p38と細胞周期の間には何の関係もない。」と教えてあげたのに。でも結局、研究者っていうのは自分の目で確かめないと気が済まない人種だから仕方ないよね。