研究から臨床に移行する際に、自分が世の中の役に立つには何がいいか、ニーズはどこかを考えました。
在宅医療はさらにニーズが見込めるだろうと睨み、まずは状況を理解するため、在宅医療の現場に参加。老人ホームの営業と話す中で、「ホームで何かあった場合は救急車を呼ぶしかないが、呼んでもすぐ受け入れてもらえない。駐車場で2~3時間待たされることも当たり前で、運が悪い方は亡くなってしまう。高齢者はどこで死ぬか知ってますか?駐車場で死ぬんです。」という厳しい現実を知りました。
その後、友人の病院で実際に在宅医療に携わるも、実態も厳しかった。
ホーム利用者の方々は、体調を崩しやすい方も多く、度々病院に受け入れ依頼をするも、受け入れてもらえませんでした。ホームの患者は退院の際に苦労するという理由でした。
病床を確保しないと、叶えたい在宅医療の世界は実現し得ないと悟り、自身でマネジメントできるちくさ病院を購入しました。
2006年にちくさ病院を購入した当初は、小泉改革の時期でした。
中小の民間病院には求められるハードルが高く、経営・人材募集を精力的に行いました。
病院購入当時のスタッフは、前病院からのスタッフがほとんどで、在宅医療を強化することへの認識の差はありました。
信念を持ってコミュニケーションを取り続けましたが、退職を避けられないケースもあり、当時の年間採用費用は3000万円を越えていました。
2008年からは本格的に医師の採用にも注力。医療業界において在宅診療への理解はまだまだ乏しく、ちくさ病院に集まる医師は、インドに行ってアーユルヴェーダを極めた者など、他のドクターとは一風変わったタイプばかりでした。
採用と経営に追われ続け、ようやく軌道に乗り始めたのが2014年。
この年に院内の体制を完全分業制にしました。昼勤の方は昼勤、夜間は非常勤が対応として分け、働きやすい環境を整えたことで、ここから採用力が上がり、離職率も低下しました。
在宅医療の認知が大きく進んだのは、コロナ禍です。
皮肉な話ではありますが、連日医療の現場が報道される中で、医療関係者が在宅医療について改めて知り、働く場として選ぶ方も増えました。
ちくさ病院の地盤が固まり認知も広がり、これからが本当の勝負の時期だと思っています。
いかに地域の方々に必要とされ、なくてはならない病院だと感じていただけるよう、『燃え尽きない在宅医療』の実現に、スタッフ一同取り組んでまいります。
ちくさ病院では、過去のあたりまえにとらわれない、柔軟な思考・発想を大事にしています。
その姿勢を表す一環として、在宅医療と交わる中で見つけた、
ありたい医療や理想の働き方との出会いの瞬間を、chicusa!と名付けました。
多種多様の草木を意味する千種(ちくさ)のように、
スタッフそれぞれのchicusa!の種が開花する場を、ちくさ病院は目指し続けます。